その部屋は、それと見なければわからないくらいの意匠が施されており、優美で贅沢な広さを
誇っていた。
天井にはバカラのシャンデリア。床に敷き詰められているのは、分厚いロマネスク文様の絨毯。
マホガニーで出来たデスクは、本場イギリスから取り寄せたエドワーディアン様式のもの。
それに合わせて誂えさせた黒く鈍い光を放つデスクチェアは総本革張。
彼の口付ける、マイセンのカップに注がれているのはリッジウェイのH.M.B。
専属テーラーの仕立てた最高級の生地を惜しみなく使ったオーダーメイドのスーツを身に
まとい、首には世界に名だたるブランドが、この世でただひとつ、彼のためだけに用意したネク
タイの完全なるウィンザーノット。
それらは彼にとっては日常であり、彼の人生において、あまりにも当たり前のものでもあった。
世の人々は多大なる畏怖と諦観をもって、彼をこう評する。
“彼が望んで手に入らぬものはない”
彼が望めば、モノはもちろん人でさえも、世界から自分好みの綺麗ものだけを用意することを
許された。
この世の贅をつくしたこの異常な空間のすべてに君臨する、越智隆史は生まれながらの帝王
だった。


越智隆史は退屈していた。
お気に入りのエドワーディアン・ソファにゆったりと腰掛け、手にしていた経済雑誌を気まぐれ
にめくる。
たまたま開いたページに、隆史の写真があった。
「若きセレブリティ」と題されたその記事は、若干28歳ながら大企業・越智グループの総帥として
頭角を現す隆史へのインタビュー記事で、先日出版関係の知り合いにどうしても、と乞われて
仕方なく受けたものだった。
芸能人もかくや、という整った容貌と外国人のようなスタイルがあまりにも絵になる、どことなく
鋭い目をした青年が、写真の中で軽く笑みを浮かべ穏やかな表情をしている。
それを何の感慨もこもらない目で眺めながら、隆史は話をした記者の熱の入った話し方を思い
出した。
自分の仕事への誇りと熱意を感じる態度は、隆史には理解できない種類のものだった。
親から受け継いだ会社経営は初めの頃は楽しかったが、さして苦労することもなく成長していく
業績に今ではあまり面白みを感じなくなっている。
もともと裕福だったおかげで手に入らないものもなかったし、容姿も整っているおかげで異性
関係にも不自由することもなかった。
何もかもが思い通りになる生活は隆史にとって当たり前のことだ。
何かに一生懸命な人はわからない。
隆史としては、自分にとって苦労しなくても手に入るものに力を注いでいる姿というのは哀れで
しかなく、なりふりかまわない姿は美しくないし、そこまでして得る価値があるものがこの世に
存在するようには思えなかった。
思い出した記者の人間性に、退屈な気分がさらに大きくなってくるのを感じる。
少し不快な気分になって、隆史はめくっていた雑誌を閉じた。
今日は特に予定もないしのんびりしようと思っていたが、穏やかな時間にも飽きてきた。
……どこかに出掛けてみるか。
何か楽しいことはないかと頭をめぐらせて、ふと、隆史は先日届いた手紙を思い出した。
引き出しにしまっておいたそれは、よく行くオークションの招待状だ。
何度か買い物をしていたら、こうして時々招待状が届くようになった。
……確か、開催日は今日のはずだったな。
招待状の日時を確認すると、やはり今日になっている。
開催時間も、支度をして会場に向かえばちょうどいい時間だった。
……退屈しのぎにはいいかもしれないな。
隆史はベルを鳴らすと、隣室に控えていた秘書を呼んだ。
ほどなくして、すらりとした人影が現れる。
冷たく見えるほど整った顔の秘書は、金髪を揺らして隆史に頭を下げた。
「お呼びでしょうか」
「出掛ける。車の用意を」
「はい」
言われた秘書が一礼して退室する。
ジャケットをはおった隆史も、招待状を手に部屋を出た。


会場のフロアに足を踏み入れると、上等な身なりの紳士淑女たちがロビーにひしめいていた。
長身の美丈夫と細身の美人秘書の登場に、貴婦人たちの視線がそちらをうかがうようにちら
ちらと飛び交う。
いつもの事なので隆史は微笑で、それらの視線を軽くさえぎった。
そう広くないフロアを見渡すと、顔ぶれはいつもとほぼ同じ、見覚えのある顔ばかり。経済界の
重鎮や権力者など、金と時間の余っていそうな人種が集まっている。
高額が飛び交う、この、貴嶋老人主催のオークションに参加できるのはそれなりの支払い能力
を持つ者だけ。
一部の人間の間では、このオークションに参加する事が1つのステイタスと囁かれる程、ここ
には世界の名だたるVIPが集まっていた。
そんなことも、隆史にとっては全く興味のない事だった。
他者との駆け引きを楽しみ、価値のあるものを購入する。
隆史がここに来る理由はそれだけだ。
隆史は参加者一人一人に与えられている、オークションステージが一望できるモニター付の
専用ボックスに入ると、その席に座った。その隣に秘書のレイラが座る。
程なくして、オークションは開始された。
ライトアップされたステージに競売人が現れ、オークションがスタートする。
最初に出品されたのは、ダイアをちりばめたネックレスと、同じデザインのイアリング。
それを身に着けた少女は壇上でうつむいていた。
係員がその顔を上げさせると、怯えた瞳がフロアを見る。
十分かわいいと言っていいが、隆史の好みではない。
競売人の声がかかり、最初の金額が提示された。あちらこちらの席から声と共に金額があがる。
隆史はこの品物には手を出さない事を決め、オークションの様子を静観していた。
やがて落札者が決まり、煌く宝石をまとったまま少女が壇上から下ろされる。
少女は終始怯えた表情のままだった。
無理はない。値をつけられたのは身にまとう宝石ではなく、自分自身なのだから。


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