それから程なくして、レイラは貴嶋老人を越智家に呼んで話をする手筈を整えてきた。
表向きは『会食を』と控えめな誘いではあったが、隆史の持つ越智の権力に逆らえる者な
ど、そう居はしない。
それは広く裏社会を牛耳る貴嶋老人も例外ではなく、
『明日にでもお伺いさせて頂きます』
貴嶋老人からは、隆史の望みどおりの返事が返ってきた。
それに満足を覚えながら隆史は、明日のことを考えなんとなく落ち着かない気分になった。
早く海里のことを知りたい。
そんな気持ちの裏で、
これ以上海里に踏み込みたくない自分もいて、
相反する二つの思いをもてあましながら、隆史は夜が明けるのを待った。


翌日、夕闇が迫る刻限に、貴嶋老人は供を一人だけ連れて越智家にやってきた。
「貴嶋様、ご到着です。応接間にお通ししました。」
貴嶋を出迎えに出たレイラが、お気に入りのエドワードディアンのソファでくつろいでいた
隆史を呼びに来る。
「わかった」
幾分緊張した硬い声で答えると、隆史はお気に入りのソファから静かに立ち上がり、
そして、意を決したように軽く頷いて、応接室へとゆっくりと歩き出した。


応接間のソファには、一人の老人が座っていた。
一見、ただの品のいいだけの老人に見えるが、まとう雰囲気はどことなく鋭い。
背後に、体格のいいブラックスーツの供を従えていることからも見てとれる、穏やかさと
は無縁の世界の住人────。
刻まれた老いが、まるで今までの経験を物語るための年輪と言っても過言ではない風貌
と威厳をたたえて、貴嶋老人こと、貴嶋実彦はそこにいた。
隆史とは祖父と孫ほどに年の違う裏社会のドンは、隆史が姿を現すとゆっくりと立ち上が
り、足が悪いのか杖を支えに立ったまま、軽く会釈をした。
そんな貴嶋の配慮に、隆史はふっと表情をゆるめた。
「翁、此度はこちらの急なお誘いにお答え頂き、感謝しております。」
隆史はにこやかに笑って、貴嶋に向かってまっすぐ手を示した。
「『闇の帝翁』と恐れられる貴方に、お会いできて光栄です。」
握手を求めると、貴嶋は躊躇いなく隆史の手を硬く握り返してきた。
「こちらこそ。『世界の帝王』に僭越ながらお会いできたことを嬉しく思います。」
翁はそう言って、自身の有する背景に似つかわしくない、穏やかな微笑みを見せた。


前情報だと、若干気難しいとの評判だった貴嶋だが、特にこれといった問題も起こらず、
用意させた会食の席は滞りなく進んだ。
食事中に海里のことを持ち出すのも何なので、さしさわりのない会話に留めた隆史だっ
たが、食事が終了し、歓待のために用意させた庭の見えるサンルームへと移動した後、
貴嶋に、
「今日お越し頂いたのは他でもない…」
それまで浮かべていた笑顔を一変させて、きり出した。
「レイラ」
「いかがなさいましたか」
深く頭を下げながら問う美貌の秘書に、隆史は低く命じた。
「海里をここにつれて来い」
「かしこまりました」
返事とともに、部屋を出て行った秘書を目で見送った隆史は、
「申し訳ないが、少し待ってもらえるかな」
同じように顔色を変えた様子の貴嶋に、傲然と笑いかけた。


そんなに待つまでもなく、レイラは隆史の命令どおり海里を連れて、隆史と貴嶋の待つ
サンルームへと戻ってきた。
相変わらず無表情の海里はレイラに引きずられるように、隆史のところまでやって来る。
それに苦々しい気持ちを味わいながら、隆史は海里の肩を抱くように引き寄せた。
そして俯き加減な顎を掴んで、無理矢理顔を上げさせ、
「コレのことについて聞きたくて、貴方にご足労願ったわけだ。」
目の前の老人を舐めるように見た。
「コレと貴方は、どんな関係なんでしょうか?」
聞いた隆史に、答えは返らない。
不審に思って貴嶋を見返すと、貴嶋は海里の顔を見たまま、わなわなと震えていた。
顔色は一気に青ざめ、見つめる眼差しは驚愕と、強烈な怒り…。もはや隆史の姿は目に
入ってない様子だ。
無視する気か…?と思って剣呑な表情を浮かべた隆史だが、手から伝わる小刻みな震
えに気づいて目を見張った。
慌てて腕の中に抱き込んだ海里を見ると、顔色をなくし、軽く額に汗をかいて、同じように
呆然と貴嶋を見ていた。
怯えた顔でかたかたと震えるその様は、まるであの日見た姿のようで…。
一体何だ?と両者に不審な目を向けていたため、一瞬反応が遅れた。
貴嶋は、とても杖をついている老人とは思えないほど機敏に海里に近づくと、
「まだ生きていたか、この悪魔めが」
嫌悪と怒りに歪んだ顔で海里を詰った。
恫喝するかのような響きに、信じられないことに海里はびくりとひどく怯えた様子を見せ
た。
無表情だった瞳が嘘のような怯えぶりだ。
今まで誰の呼びかけにも無反応だった海里の変化に隆史は驚きを隠せない。
「二度と顔を見せるなと、地獄へ落としたはずが、まだ私の前に現れるか…」
杖を握った手をぶるぶる震わせながら、貴嶋は憎々しげに言って、
「この、たわけが!」
怒声と共に勢いよく、持っていた杖を海里目がけて振り下ろした。
艶のある色の木で出来た、見るからに頑丈そうな杖に打たれて、海里はその場に崩れ落ちた。
突然の出来事に、誰もが動けない。
「下種めっ!」
言いながら貴嶋は、なおも杖で海里をぶった。
2発、3発…と続いて振り下ろされる杖の猛攻にも関わらず、なぜか海里は逃げるでも避ける
でもなく、
「…ごめんなさい…っ…ごめんなさい…!」
震えてうずくまったままそれをただ受け続ける。
あまりに常軌を逸した光景に、隆史は呆然となっていたが、荒ぶる老人を諌める貴嶋の供の
声で我に返った。
見ると貴嶋は供にとり押さえられていて、海里は杖で殴られた格好のまま、頭を押さえて倒れ
ていた。
しゃがみこんで恐る恐る覗き込んでみると、海里はまだ直りかけだった頬をまたさらに腫らして
頭から血を流していた。
意識がないのか目は閉じられ、軽く呼びかけても反応がない。
その様子に、隆史はすぐさま、同じように呆然としていたレイラを振り返り呼びつけた。
「海里を別室へ。…念のため石道に往診させろ」
「かしこまりました」
答えるとレイラは、海里をそっと抱き上げ立ち上がった。
その間にも、貴嶋の罵声はずっと続いていて…、
レイラに運ばれていく海里に、貴嶋は供に押さえられてるにも関わらず、すっかり興奮しきっ
た声で、
「お前を見ると虫唾が走るわ! この化け物!」
海里が部屋から出されるまで、ずっと叫び続けていた。



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