海里が部屋を出て行った後、まだ憤怒やるかたない様子で荒い息をつく貴嶋に、隆史は冷 ややかな眼差しを向けた。 「許可もなく人のものを傷つけるとは…天下の翁のなさることとは思えませんね」 恐ろしいほど丁寧な口調で浴びせた痛烈な厭味。 忌々しげな目線を寄こす貴嶋をものともせず睨みつけ、隆史はなおも貴嶋へ苛立ちをぶつけ た。 「どういう関係かは知らないが、アレはもう私のモノだ。あまり手荒にしないで頂きたい」 隆史のその言葉に、貴島老人は我に返ったように怒りの表情を解いた。 「申し訳ない…」 一気に気が抜けたように、貴嶋はあっけなく謝罪の言葉を口にした。 その温厚で理知的にも見える様子が、先ほどまで血走ったように海里に折檻を働いていた 狂気じみた言動とは結びつかない感じで、怒っていたはずの隆史も毒気を抜かれた。 ────そういえば、普段は何者にも反応することのなかった海里も、顔を見ただけでこの 老人に過剰と思えるほどの怯えぶりを見せていた────。 貴嶋といい、海里といい、一体何だというのか…。 本当に訳がわからない。 「今日お呼び立てしたのは、アレについてだ」 このままでは謎ばかりが膨らむうえ埒もあかないので、隆史は貴嶋に直接的に迫った。 「アレの身元に関して知ってること全て…大切な『貴嶋』を潰されたくなかったら、素直に話 せ」 隆史の傲然とした命令に、貴島はしばらく逡巡する様子でいたが、 「賢明な処置を」 と吐き捨てるように脅した隆史に、とても苦しそうな面持ちで重々しく口を開いた。 「アレは、私の孫だ」 貴嶋の、想像もしていなかった返答に隆史は驚いた。 貴嶋は淡々とした口調で、海里の素性を語った。 それはあまりに衝撃的な内容で、調べても海里の素性がわからなかったのも道理、貴嶋 が隠蔽したがるのも無理はないと言わんばかりの内容だった。 海里の父親は…貴嶋の息子だった。 そして…恐ろしいことに、母親も貴嶋の娘────。 …そう、海里の両親は、2人とも貴嶋実彦の血を引く、実の兄妹…。 しかも、両親とも同じの、双子の兄妹だったという────。 貴嶋の息子・海人と貴嶋の娘・麻里は当時20歳。 男女差を感じないほどに恐ろしいほど似た顔の、美貌の兄妹だったという。 同じ血を分け合っているはずの双子の兄と妹は、いつの日からか愛し合い、 そして、15年前のあの日、 『お父様、ごめんなさい。許されない恋をしました』 そんな置手紙ひとつで、、駆け落ちを決行した──。 使える手段を全て使って貴嶋は二人を連れ戻そうとしたが、見つけた途端、逃げて行方 をくらまし続ける2人には手を焼いたという。 「そして、私が二人を捕まえることが出来たのは、7年前。…あの子らが事故死した時だ った」 顔にありありと後悔を刻んで、貴嶋は苦悩するように両掌で目を覆った。 「遺品を引き取りに行った先で、私を出迎えたのが…あの子だった…」 呻くように、貴嶋は告げた。 「…恐ろしいほどに、アレは海人と麻里に似ていた…。一目で…禁断の末の子供だとわか る程に…」 貴嶋のひざの上、色が白くなるほど強く握られた手が目に見えて震えているのがわかる。 「そしてあの異常な容姿…。アルビノというらしいが…血が濃すぎると奇形が生まれやす い…。そして、あの子には戸籍がなくて───」 貴嶋は頭を抱えたまま、苦しげに続けた。 「信じたくはないが、駆け落ちの時には、アレは麻里の腹の中にいたようだ…。」 次々に明かされるあまりに痛ましい事実に、隆史は言葉もなく、ただ貴嶋を見つめること しか出来なかった。 「残されたアレを、外聞もあってとりあえず引き取りはしたが、私には到底あの化け物を 可愛いとは思えなかった」 海里は両親からは何も知らされておらず、自分が禁忌の子供だということもわかってい なかった。 奇形をものともせず、両親に愛されて育った子供。 その特異な容姿と戸籍のせいか、ほとんど外に出ることない生活を送っていたらしい海 里は、今どき珍しい素直でまっすぐな子供だった。 世の中の善悪も知らず、『お父さんとお母さんのお父さんはおじいちゃん』と貴嶋を慕う 様子さえ見せる海里に、貴嶋は殺意を覚えたという。 「アレさえいなければ…海人も麻里もあんなことにはならなかったと思うと、憎くて…。 アレが2人に似ている分、余計許せない…。忌々しいくらい同じ顔で…2人の罪を見せ 続けて…」 邪険に扱っても、貴嶋に笑いかける海里。 今までの幸せを物語るひたむきさが、貴嶋の恨みに火をつけた。 「あの子を見ると、私を裏切って出て行った二人をまざまざと見せつけられてる気に なって…」 幸せになどさせてなるものか、と、 募らせた貴嶋の憎しみは、海里へと還っていった。 折檻に次ぐ折檻。 杖で殴るのは日常茶飯事。気に入らなくて熱い茶を頭からかけたこともある。 そんな風にボロボロに痛めつけてさえ、海里はまだ純真な目を向けてくる────。 海里はそのまま、それに7年間耐え続けた。 これはいつか終わる悪夢だ、と信じてるような顔をして…。 けれど、あのオークションにかけられる1週間前、 海里がうっとうしくてたまらなかった貴嶋は、恨みを込めて、 15歳になったばかりらしい、何も知らなかった海里に、 『お前など、汚らわしい禁断の子供のくせに』 無情にも吐き捨てるように、事実を一気に叩き付けたのだ。 可哀相な子供は一気に壊れた。 今まで正気でいたのが不思議だったくらいの状況だったのだ。 すがれるものが何もなくなった海里が、堕ちていくのはたやすかった。 それから海里は、もう笑いも泣きもしゃべりもせず、ただそこにいる人形か置物のように なってしまった。 「なので、売り払うことにした。幸い、見た目は珍しい訳だから、『天使』にして」 海里が壊れてから一週間を見ての決意だった。 「『天使』シリーズを本当の意味で可愛がる人間など、いない。どういう扱いをされるのかわ かっていて、私はただ一人の『孫』を売った…」 日頃冷酷で知られる隆史も、貴嶋のこのあまりの残虐な言葉には、さすがに怖気がたった。 湧き上がる嫌悪感に、顔をしかめる。 「あの子が…悪い訳ではないのはわかっている。…けれど、世の中には、どうしても許せな いことがある…」 奇妙に掠れた貴嶋の声が、重々しく響く。 「…私は永遠に、『子供』と『孫』を失った。それがあの子たちのしでかしたことを、親の責任 として、私が世に出来る、ただ一つの償いだ」 苦渋を滲ませる選択に、隆史は老人に哀れむような眼差しを向けることしか出来ず、やり きれない思いで、浮かばれることのない、あの白い子供を思った。 貴嶋も海里も、無様だと、思っても、罵る言葉も出てこない。 そんな隆史に、貴嶋は疲れきった顔で笑いかけた。 そしてそのまま、 「貴方は私とは違う考えをお持ちな気がする…。せいぜいアレを、可愛がってやってくれ…」 一気にしわがれたような様子で、ぼそりと貴嶋は隆史に告げた。 「私の代わりにも────」 祈りを捧げるかのように、膝に顔を埋めながら、喘ぐように────。 |
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