隆史の努力も虚しく、その後も海里の様子は、特に変わらないままだった。
相変わらず虚空を眺めたまま、ただ存在している。
声を出すことも、隆史を見ることもない。
ほうっておけば生きることさえやめてしまいそうな…そういう危うさで、
海里はサンルームの安楽椅子で空虚な時間を過ごし続けていた。
こんなに想っても相手にされないこと、それに少し傷つきながらも、隆史は決して海里を世話
することをやめなかった。


そして、そんな生活を1週間も続けていると…、
隆史の中での考え方が変わってきた。


夜、仕事を終えて…、
今日も隆史はいつもの手順で、海里を風呂に入れ、その体を丁寧に磨いた。
風呂に入れて体を優しくブラシでこすったりしてやると、海里は気持ちよさそうなそぶりを少し
だけ見せる。
特に髪を洗ってやると、安心したように目を閉じる。
どうやら隆史の手で洗われるのを、多少は気に入ってくれているらしい。
たかがそれだけのことが、飛び上がるほど嬉しくて…。
反応は相変らず返ることはないが、拒否されるわけでもない。
相手にされていないのはわかっているが、
────あの、実の祖父・貴嶋に対する怯えぶりを考えると、よく考えたら拒否されないだけ
でも嬉しいことかもしれないと…、
しわがれたような老人の苦悩を思い出し、隆史は思い始めていた。
現に始めは何をしようが本当にまったくと言っていいほど、些細な反応の兆し一つ得られな
かったというのに…、
今、垣間見える、髪を洗うことに対する心の動き、のようなもの。
今、海里は、私の手で、少しかは快適なのだろうか?
そんな心の中の問いは口にすることはなく、隆史は優しい気持ちで海里を見つめた。
一度恋心を自覚すると、不思議な色で光る白い髪も、日本人らしかぬ病的に白い顔も、けぶ
るまつげに隠された、薄い、氷のような空色の瞳も、華奢な手足も体も…、
全てが、愛しくて、たまらない。
その出生…実の双子が絡んで出来た禁忌の子供。
不幸な生い立ちを、知っているはずなのに、
隆史には、どうしても貴嶋と同じように海里のことを『悪魔』や『化け物』などとは思えない。
隆史の目に映る海里は、
祖父に当たる貴嶋に愛されることなく憎まれた、か弱い不幸な子供で…。
そんな海里に、温かみを与えてやりたい。
甘やかして蕩けるほどに、優しくしてやりたい。
貴嶋の分も愛して、憎くまれて出来た傷を埋めてやるほどに…、
それが出来るのは自分だけだと。
新たな決意を胸に、隆史は海里の頬に、誓うように口づけた。
私がお前を、誰よりも愛してみせる、と…。


ゆっくりと髪を洗い終わった隆史は、目を閉じたままの海里の頬に手をのばし、そっと語りか
けた。
「…気持ちよかったか?」
海里は答えない。
いつもの無反応の結果ではなく、どうやら気持ちよさに目を閉じたまま、そのまま眠ってしま
ったらしい。
「眠ったのか…」
優しく頭を撫でて、隆史は海里を、体が冷えないように入れていた湯船から出した。
傍らのレイラに目で合図して、出てきたバスローブを受け取り、海里に着せる。
それでも海里はよほど心地いいのか目を覚まさない。
穏やかな顔をしてすっかり寝入ってしまっている海里の姿に、隆史はこみ上げてくる想いの
まま微笑んだ。
微笑みながら、
愛されることよりも、愛することができる幸福を思い、
それを噛みしめながら、隆史はバスローブ姿の海里を抱き上げ、寝室へと向かった。
その後姿は、今までにない温かみに満ちていて────。
レイラはその2人を、切ないぐらいに綺麗だと思った。
そして眠る海里を起こさないよう無言のままレイラは、2人の後姿に一礼し、見送った。



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