海里が気絶してからすぐに、レイラにつれられて、越智家お抱えの医師が駆けつけた。
長年越智家に仕えている、髪に白いものが混じり始めた医師の石道は、海里の腫れ上がった
顔やどろどろに汚れた下肢を見るなり盛大に眉をひそめたが、隆史の不興を避けるためか、特
に海里の怪我などには言及せずに、診察を始めた。
気を失った後、海里は先ほどの苦しげな状態が嘘のように、穏やかな様子で寝入っていた。
隆史が石道から2、3質問を受けながら、気絶前の海里の状況を説明する。
隆史の手ゴマの一つである──どんな人道に外れたことでも、越智家に不利になるような行い
をしてはいけない関係──の石道に対して特に気を払う必要もないので、隆史は、海里が人身
売買オークションの商品であること、購入後も反抗的であったこと、そのため直前まで仕置きの
ために強力な催淫剤を飲ませながら性行為を強要したことなど、あけすけに語った。
そして起こった異常呼吸のことを言うと、医師は難しい顔をしながら診断を下した。
それによると、海里は過度のストレスによる呼吸不全ということだった。
命に別状はないらしいが、精神的なショックが大きすぎて、呼吸系統がおかしくなったらしい。
「現在は呼吸も元に戻っているようですし、大丈夫だと思われます」
石道の落ち着いた報告に、隆史は心底ほっとした。
さすがにあれで死なれてしまうと後味が悪い。
けれど石道は、
「ですが…気になる点が…」
と躊躇いがちに診察を続けながら言った。
「隆史様もお気づきかと思いますが、この者の体には古い傷跡らしきものが無数に…」
石道の言葉に隆史はぴくりと目を動かした。
「大小さまざまで方向も定まらないこれは…虐待の痕か何かのように見えます」
石道は専門ではないのであくまで推測の域を出ないですが、と結論を濁した。
隆史は、淡々と海里の古い傷痕の説明する石道の意図が掴めなくて、眉をひそめた。
「それが一体何だというのだ?」
問う隆史に石道は、
「もし、この者が隆史様のもとに来る前、3ヶ月以上の虐待を受けていたとしたら、この者が
しゃべらないことと何か関係があるかもしれません」
その石道の新たな見解に、隆史は驚きに目を見張った。
石道は目の前の少年を哀れそうに見つめながら、続けて隆史に言った。
「私は精神医学の専門ではありませんので、詳しいことはなんとも言えませんが…。先ほど
の隆史様のお話とこの傷を考えると…この者は過去の精神的ショックか何かで心を閉ざし
てしまっている可能性も否定できません」
石道の説明に、隆史は動揺した。
「じゃあ、コレがしゃべらないのは、反抗的だからではなく…?」
「あくまで推測の域を出ませんが」
動揺する隆史に、石道はやはり淡々と結論をぼかした。


石道が診察を終えて帰ってからも、何となく隆史は、眠る海里の側から離れることが出来ず
に、海里の寝顔を見つめていた。
隆史に殴られ変色していた海里の頬はしっかり治療が施され、貼られた大きい湿布が小ぶり
の白い顔で存在を主張している。
先ほど力任せに叩き付けたせいか、頭にもこぶと外傷が見られると、頭にも包帯を巻かれた
見るに痛々しい姿が、隆史の眼下に横たわっていた。
かなり熱があるのか、先ほどからレイラが何度も額に当てているタオルを氷水で冷やして変え
ている。
そんなレイラと海里を見やりながら、隆史の脳裏には先ほどの石道の言葉が回っていた。
『もし、この者が隆史様のもとに来る前、3ヶ月以上の虐待を受けていたとしたら、この者が
しゃべらないことと何か関係があるかもしれません』
アレは、よほどプライドの高いのだろう、と思っていた。
反抗的な態度を取り続けていたから、仕置きした。
ずっと無表情・無反応で反抗的だった海里を乱れ泣かせ、屈服させた。
落ちて許しを請う海里の姿に、あの時には胸のすく思いがしたのに…。
『この者は過去の精神的ショックか何かで心を閉ざしてしまっている可能性も否定できません』
頭に繰り返される石道の言葉に、隆史は苦々しいものがこみ上げてくるような気がして、ため息
まじりに目を伏せた。
自分の状況もわからずに反抗する馬鹿だと思ったから、
無知で、哀れで、愚かだと、心の中で罵りながら、
いたぶってやったというのに…。
けれど…、
違うというのか…?
浮かぶ恐ろしい疑問に、隆史は自分の額に手をやり、俯いた。
もし、石道の推測が本当なら…、
隆史は焦ったような目で海里を見つめた。
私は、この子供に何をしたのだろう?
泣き叫ぶ子供を無理矢理屈服させ、その体を蹂躙した。
わかっていなかったとはいえ、隆史は先の自分の残虐極まりない行動に、寒気を感じた。
が、けれど、と思い直した。
アレは『商品』だ…。
隆史は自分に言い聞かせるように強く思った。
『商品』なのだから、生かすも殺すも、購入者の私の好きにまかされる。
だから…海里が多少ひどい目を見ようとも、
きっと、売られた不幸が悪いのだ…。
隆史は張り付いたような笑顔を無理矢理浮かべた。
だいたい、まだ虐待されていたとか、決まったわけではない。
やっぱりあれは反抗かもしれないではないか…。
ひょっとしたらあの無数の古い傷痕も、生意気なあの少年に、自分と同じように腹を立てた誰か
が仕置きした痕かもしれない…。
そう考えると、少し心が落ち着いてきて、
「今日はもう休む」
隆史は、短くレイラに告げた。
「病人を動かすのも好ましくない。今日は私が別な部屋に移る」
その隆史の言葉に、レイラはどことなく嬉しそうに笑って立ち上がり、
「それではすぐに別なお部屋をご用意いたします」
丁寧に一礼すると、部屋を静かに出て行った。
それを視線の端に捕らえながら、隆史は改めて眠る少年を見つめた。
厄介なものを買ってしまったと思う。
なんにせよ、と隆史は目を眇めた。
ことの真偽は、この少年が目覚めてからだ。
目を覚ましたその後、少年がとる態度でわかるだろう。
きっと今日の仕置きに懲りて、海里はすっかり従順になるに違いない。
仕置きの最中のような、あの幼い態度で、自分を見るに違いない。
決して二度と、あんな反抗的に、無感動な目を向けることはしないだろう。
そう隆史は、胸に浮かぶ疑惑をかわして結論付けた。
心のどこかで、そうであってくれ、と祈るように思いながら。



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